(この記事は執筆当時のもので、現在は古くなっている情報を含んでいます。最新の記事であるhttp://history-link-bottega.com/archives/14929526.htmlを合わせてお読みください)

すでに一橋「世界史」出題傾向1(1995年~2016年)で述べましたが、ここ数年、一橋大学では出題傾向に大きな変化が見られます。これまでの一橋は、深い歴史的知識の整理が要求される設問が多い反面、出題範囲に大きな特徴があったことから、神聖ローマ帝国周辺史や中国近現代史を集中的に勉強する、いわゆる「ヤマをはる」勉強を行えば、ある程度は対応できた部分もありました。しかし、最近の傾向変化によってこうした従来型の出題傾向把握では対処できない部分が増ええきたように思われます。そこで、今回は出題傾向に変化が見られ始めるここ56年ほど(2011年ごろ~2016年)の傾向に特に注目して、その変化の内容と注意点を示してみたいと思います。

 

[ここ数年における出題傾向の変化とその原因]

 

この数年の出題傾向に大きな変化が見られることは特筆に値します。この出題傾向の変化には、かつて一橋で力を持っていたドイツ関連の研究者たちが定年を迎えて入れ替わる反面、新しい分野の研究者たちが一橋の西洋史・東洋史の指導者として招かれはじめているところが大きいのではないでしょうか。

「研究者の専門分野なんかに意味はない」と思うかもしれませんが、さにあらず。特に一橋においては以下に示すように各教員の専門分野と出題の関連性は極めて高かったです。また、近年東大をはじめとして「世界システム論」や「イスラーム世界」といったテーマが取り上げられている背景には、もちろん近年のグローバル化やイスラーム原理主義の台頭といった問題関心が強まっていることもありますが、こうした分野を専門にしている研究者が多いことも背景にあると思われます(東大の副学長である羽田正はイスラーム史の専門家です)。

一橋大学の研究者に関する詳細なデータは一橋大学HPトップページ右上検索から「史学 教授」と検索すれば教員紹介ページが出てきます(http://www.soc.hit-u.ac.jp/teaching_staff/)ので、本学を第一志望に考えている人はぜひ一度は目を通して参考にして欲しいと思います。受験問題に対応するという意味だけでなく、これから自分が通おうとする大学の教授陣がどのような問題関心を持っているのかを知ることは、意味のあることだと思いますので。「歴史社会研究分野」となっている部分が主な該当部分だと思われます。

 

それでは、具体的な例を挙げましょう。現在は「留学生・グローバル化関連担当」教授である中野聡教授の専門は環太平洋国際史・米比関係史などですが、これは一橋大学2015年度大問2の「ECASEANの共通点と相違点」、2012年度大問2の「国際連盟と国際連合の設立とその問題点」や2008年度大問2の「米西戦争」をテーマとした設問などと親和性が高いです。また、現在は総合社会科学専攻に籍を置いている糟谷啓介教授は、歴史社会研究分野に籍を置いている頃は閔妃政権や李朝末期の権力構造をテーマとしていました(ちなみに現在は加藤圭木専任講師がいますが、加藤講師の専門テーマは「日露戦争と朝鮮」、「植民地支配と公害」、「慰安婦問題」などです)が、こうしたテーマも同校の大問3に影響しているようだ。こうした研究テーマが設問に影響している以外にも、以下の2点は近年の設問の変化として強調しておくべき点であると思われます。

 

     出題範囲が従来よりも広い

:これは特に大問12で顕著で、ここ十数年で言えば頻度の低かったイギリス史(2014年度大問1:ワット=タイラーの乱)や、神聖ローマ帝国とは関連の薄い中世史もしくは宗教史(2016年度大問1:聖トマスとアリストテレスの都市国家論の相違[ギリシアポリスと中世都市の比較])などが2010年度以降たびたび出題されるようになってきています。これまではすでに述べてきた出題傾向を念頭にある一定の分野だけを学習してもいくらかの得点を得ることが期待できていたのに対し、近年はいわゆる「ヤマをはった」学習の仕方では総崩れになる恐れが出てきていると言えるでしょう。

 

      史料や設問文からその意味や出題者の意図を読む、より深い読み取りが要求されている

:これまでの史料問題では、史料そのものには深い意味はなく、史料と設問は独立していることが多かったように思います。しかし、近年は史料や設問の本文自体にかなり重要な意味が持たせられており、これを読み解くことで論述の大きな枠組みが初めて得られるという設問が増えてきています。一方、ここで必要とされているのはむしろ国語的な読解力であり、必ずしも深い歴史的知識は必要としません。時間の制約はあるものの、すぐに論述の方向性が見いだせない時には史料や設問本文をじっくり読むという作業が必要になる可能性もあるということは頭に入れておくべきでしょう。

 

(例)2016年大問1 「聖トマスとアリストテレスの都市国家論」

 

I 聖トマス(トマス=アクィナス)に関する次の文章を読んで、問いに答えなさい。

 

 聖トマスは都市の完全性を二因に帰する。すなわち第一に、そこに経済上の自給自足があり、第二には精神生活の充足、すなわちよき生活、がある。しかして、およそ物の完全性は自足性に存するのであって、他力の補助を要する程度、においてその物は不完全とされるのである。さて、霊物両生活の充足はいずれも都市完全性の本質的要件であるが、なかんずく第一の経済的自足性は聖トマスにおいて殊更重要視される。「生活資料のすべてについての生活自足は完全社会たる都市において得られる」と説かるるのみならず、都市はすべての人間社会中最後にしてもっとも完全なるものと称せられる。けだし、都市には各種の階級や組合など存し、人間生活の自給自足にあてられるをもってである。このように都市の経済性を高調することは明らかに中世ヨーロッパ社会の実情にそくするものであって、アリストテレース(アリストテレス)と行論の類似にもかかわらず、実質的には著しき差異を示す点である。聖トマスにおいてcivitasは「都市国家」ではあるが、「都市」という地理的・経済的方面に要点が存するに反し、アリストテレースは「都市国家」を主として政治組織として考察し、経済生活の問題はこれを第二次的にしか取り扱っていない

(上田辰之助『トマス・アクィナス研究』より引用。但し、一部改変)

 

 *civitas:市民権、国家、共同体、都市等の意味を含むラテン語。

 

問い 文章中の下線部における聖トマスとアリストテレスの「都市国家」論の相違がなぜ生じたのか、両者が念頭においていたと思われる都市社会の歴史的実態を対比させつつ考察しなさい。

 

上の問題を一読すると「そんなことは習っていない」と投げてしまいそうになる設問ですが、本文(もしくは下線部)をよく読むと、聖トマスが生きた「都市国家(=中世都市)」が地理的・経済的要素にその特質の多くがあるのに対して、アリストテレスの生きた「都市国家」は政治的組織としての要素が色濃いと言っているに過ぎません。これが分かれば、ここでいう両者の都市国家論の対比というのは「中世都市とポリスの対比」をせよということに気付くことは難しくありません。また、中世都市とポリスの性質などは一橋を受験する受験生には基礎レベルの知識と言えます。

 つまり、一橋大学では必ずしも重箱のすみをつついたような歴史用語や事実についての知識を要求しているわけではありません。むしろ、近年は史資料の読解能力、大きな枠組みにある一定の歴史的事象を位置づけて解釈する能力、そしてそれらを支えるための最低限の現代文読解能力が要求されています。一言でいえば、大学に入学後は様々な書籍を読み、議論したり、レポートを書くことになるわけで、そうした大学生になってから必要となる最低限のスキルを身につけているかどうかが問われていると考えるべきでしょう。一部の塾や過去問解説では、一橋があまりにも専門的な事柄や歴史学的な理解を設問に盛り込むことについて疑問を呈する向きもあるようですが、私は必ずしもそうは思いません。一橋は何もないところからそういう専門的な知識を問うているのではないからです。そうではなく、まず史資料を用いて専門的な歴史的理解を「紹介」した上で、受験生に彼らがもっている知識や理解をもとに「紹介」された専門的な事柄を整理しろと求めているに過ぎません。むしろ、史資料を読めば答えの一部はそこに書いてあるのであって、これまでの問題よりも一部の受験生にとっては易化している面もあるのではないかと思っています。いずれにしても、「本当の意味での歴史的理解とは何か」ということを、これから大学に入ろうとする受験生に歴史学を「体験」させるという意味ではよく考えられた良問であると言えるでしょう。(もっとも、そうした要素を加味しても「これは…(汗)」と思う悪(難?)問もたまーに含まれています。そういう時は、周りと比べて見劣りしない程度の解答に仕上げることに専念すべきでしょう。)